『南方郵便機』の誤訳を正す(2/2)

2020年6月13日フランス, フランス文学, フランス語翻訳, 出版, 文学

先に書いた『南方郵便機』の翻訳の問題であるが、『南方郵便機』の翻訳は調べてみると堀口大學(1954年)、長塚隆二(1978年)、山崎庸一郎(2000年)と3つあることがわかった。さらには、伊藤晃訳(中央公論世界の文学 52、1966年)があることは国会図書館では蔵書されているが、読むには至らなかった。したがって、今回はこの3つを比較することにした。

この章(あるいは節)は、ベルニスがかつての恋人(人妻の、だから不倫相手の)ジュヌヴィエーヴの家に行くところだが、幻想小説風に描いている。

堀口大學訳

 ここでジャック・ベルニスが僕にそのまわり道の物語をしてくれた、次のように。

 それは田舎の小さな停車場というよりは、むしろ秘密の戸口というにふさわしいものだった。見たところ、それは田舎の景色を見晴らしていた。人のよさそうな改札係の前を通って、人はあたりまえの白っぱくれた往来へ出る。小川があり、野ばらが咲いている。駅長はばらの手入れをしていた、駅夫は空車を押すふりをしていた。こうしてこの三つの偽装の陰に隠れて、秘密な世界の三人の番人がこの戸口の見張りの任に当っていた。改札係が僕の渡した切符をしげしげ見まもった、

ーあなたはパリからツールーズへいらっしゃるんでしょう? なぜここで下車なさるんですか?」

ー次の列車で続けるつもりです」

 改札係が彼をじろじろ眺めた。彼が今、止めようか通そうかと躊躇しているのは、その往来や、小川や、野ばらを惜しむためではなく、騎士物語の昔から、選ばれた人々のみが入るを許されている田舎というこの神秘な世界のヒンターランドを惜しむがためだった。どうやら彼は、ベルニスの顔に、オルフェの昔から、このような冒険旅行に出かける人に必要な資格とされている三つの宝、勇気と青春と恋愛を、見てとったものらしく、言うのだった、

――お通り下さい」

(新潮文庫、238ページ)

長塚隆二訳

 そして、ジャック・ベルニスはその話を私にしてくれた。

 それは田舎の小さな駅ではなくて、忍び戸のようなものだった。見たところ、そこから野原がひらけていた。のんびりした改札係のところを通ると、なんの変哲もない白い道にでて、小川が流れ、野バラが咲いていた。駅長はバラの手入れをしているし、駅の人夫がじつは空の手押し車を押すように見せかけていた。こういう変装姿で、秘密の世界の三人の番人が目を光らせていたのだ。

 改札係が切符を指ではじいた。

「パリからツールーズまでですが、どうしてここで下車するのですか?」

「つぎの列車にまた乗るのだがね」

改札係は、彼の顔をじろじろ見つめた。改札係が彼に引き渡すのに二の足を踏んでいるのは、道とか小川とか野原ではなくて、メルラン〔多数の騎士物語に登場する魔法使いの予言者〕以来、忍び込む方法がわかっている外見の下に隠されたあの王国にほかならなかった。それにしても、彼はベルニスの中に、オルフェウス以来この国の旅に必要な、勇気と若さと愛という三つの取柄を読み取ったのにちがいなかった……。

「どうぞ」と彼がいった。

(グーテンベルク21)

山崎庸一郎訳

 そしてジャック・ベルニスは、そのときのことを話してくれた。

 それは田舎の小駅ではなくて、隠し扉だった。おもて向きは田園に面していた。のんびりした改札係のまえを通り抜けると、なんの謎もない白っぽい道に出る。小川が流れ、野ばらが咲いている。駅長はばらの手入れをしていたし、駅員はからっぽの車を押しているふりをしていた。こんなふうに変装して、秘密の世界の三人の番人は見張りについていたのだった。

 改札係は切符を指ではじいた。

――パリからトゥールーズに行くのに、どうしてここで降りるんです?

――つぎの汽車で乗りつぐつもりだ。

 改札係はしげしげと彼の顔を見た。彼にたいして、道路や小川や野ばらを引き渡すことをためらっていたのではない。マーリン[ref]マーリン ケルト伝説の魔法使いで、アーサー王物語にさまざまな形で登場する(山崎注)[/ref]以来、特別の者たちだけが見かけのしたに忍びこむことのできるかの王国を引き渡すことをためらっていたのだ。やがて、ベルニスのうちに、オルフェウス以来、そのような旅のために要求される三つの徳、勇気、若さ、愛を読み取ったらしい……。

――お通りください、と彼は言った。

(『南方郵便機』サン=テグジュペリ著作集1、みすず書房、109ページ)


さて、原文を見てみよう。

Ce n’était pas une petite gare de province, mais une porte dérobée. Elle donnait en apparence sur la campagne. Sous l’œild’un contrôleur paisible on gagnait une route blanche sans mystère, un ruisseau, des églantines. Le chef de gare soignait des roses, l’homme d’équipe feignait de pousser un chariot vide. Sous ces déguisements veillaient trois gardiens d’un monde secret. 

1.en apparenceを「見たところ」が正解で、山崎訳の「おもて向きは」と訳しているのは私は訳しすぎだと思う。「裏は?」という問いを予感させすぎているからだ。後で分かることをもう示しているからだ。次の「まえを通り抜けると、なんの謎もない白っぽい道に出る」という文章は、「前を通って・・・往来へ出る」(堀口)「通ると・・・白い道にでて」(長塚)「通り抜けると・・・道に出る」(山崎)というように、全員が「ベルニスが彼の前を通り抜けて道に出た」と思うように訳してある。まして、「小川が流れ、野ばらが咲いている」と書いてあると、道の先を歩いていく風景を描写してあるとしか思われない。gagnait (gagner)をそう読んだのだ。動詞の意味の解釈それ自体はそういう場合もあるから間違いではないが、次のやり取りを見ると、ベルニスはまだ改札を済ましてないことがわかるはずだ。だから、まだ目で眺めているに過ぎないことを示すべきなのだ。gagnaitという直接法半過去を「に出る」と直接法現在形のように訳しているのはそれを曖昧にするためだろう。しかし、「小川が流れ、野ばらが咲いている」のはそこに行っている印象を示すので訳しすぎだろう。

2,さて、その次の文章に進もう。

Le contrôleur tapotait le billet :

– Vous allez de Paris à Toulouse, pourquoi descendez-vous ici ?

– Je continuerai par le train suivant. 

tapotaitという動詞tapoterは指でトントン叩く、あるいはつつくという意味である。もちろん、布団をパンパン叩くとかもある。しかし「弾(はじ)く」という意味ではない。堀口訳では、「切符をしげしげ見まもった」と、指がどうしたということは全く無視だ。

3.ではその次。

Le contrôleur le dévisageait. Il hésitait à lui livrer non une route, un ruisseau, des églantines, mais ce royaume que depuis Merlin on sait pénétrer sous les apparences. Il dut lire enfin en Bernis les trois vertus requises depuis Orphée pour ces voyages : le courage, la jeunesse, l’amour… 

堀口訳での「騎士物語の昔から、選ばれた人々のみが入るを許されている」とか山崎訳の「マーリン以来、特別の者たちだけが見かけのしたに忍びこむことのできるかの王国を引き渡すことをためらっていたのだ。」という訳で「選ばれた人々のみ」とか「特別の者たち」にあたるフランス語はどこにあるのだろう?depuis Merlin on sait pénétrerしかないのに。

Merlinというのはwikipediaの日本語[ref]https://ja.wikipedia.org/wiki/マーリン[/ref]またはフランス語[ref]メルランhttps://fr.wikipedia.org/wiki/Merlin[/ref]にあるように、ガリアのケルト伝説の預言者で見えないものを透視できたということから、マーリン(メルラン)が透視していらい、on(誰でも)透視能力が備わったということなので、特別の人間にしか見えないというのは真逆の解釈である。

この点で長塚訳はさすがである。「メルラン〔多数の騎士物語に登場する魔法使いの予言者〕以来、忍び込む方法がわかっている」ときちんと訳されている。メルランが忍び方を開示したということを解説しているのだ。

また、オルペウス以来というくだりは、妻エウリュディケーが毒蛇にかまれて死んだとき、オルペウスは妻を取り戻すために冥府に入ったというギリシャ神話を引き合いに出して、死にゆく恋人ジュヌヴィエーヴに逢いにに来るベルニスのことを喩えているのだ。ここで問題なのは山崎訳である。せっかく長塚訳ではメルランのくだりをちゃんと訳しているのに、堀口訳に戻しているのである。2つの先人の訳を見比べて間違いを採用するという山崎の翻訳力の無さは目を覆うばかりである。

4.さて、その次。

– « Passez », dit-il. 

さて、ここでようやく改札係がベルニスを駅の外に出したのだ。だから前の文章で彼を改札係の前を通らせてはならないことがわかるだろう。

では、以上を踏まえて、長塚訳を基本にして改訳してみよう。

★★★★★★★★★★

 そして、ジャック・ベルニスはその話を私にしてくれた。

 それは田舎の小さな駅ではなくて、忍び戸のようなものだった。見たところ、そこから野原がひらけていた。おとなしそうな改札係の見張る先には変哲もない白い道と小川と野ばらが見えた。駅長はバラの手入れをしているし、駅の人夫がじつは空の手押し車を押すように見せかけていた。こういう変装姿で、秘密の世界の三人の番人が目を光らせていたのだ。

改札係は切符を指でとんとんと突いて、

「パリからツールーズまでですが、どうしてここで下車するのですか?」

「つぎの列車にまた乗るのだがね」

改札係は、彼の顔をじろじろ見つめた。改札係が彼に引き渡すのに二の足を踏んでいるのは、道とか小川とか野原ではなくて、メルラン〔多数の騎士物語に登場する魔法使いの予言者〕以来、忍び込む方法がわかっている外見の下に隠されたあの王国にほかならなかった。それにしても、彼はベルニスの中に、オルフェウス以来この国の旅に必要な、勇気と若さと愛という三つの取柄を読み取ったのにちがいなかった……。

「どうぞ」と彼がいった。


以上、この項目終わり。