海老坂武『自由に生きる おひとりさまのあした』

2019年11月28日フランス文学, 文学

海老坂武『自由に生きる おひとりさまのあした』を読んだ。

気になったのは谷崎潤一郎とサルトルのところ。

「朝吹登水子さんについて悔いが残る。朝吹さんとお付き合いするようになったのは、サルトルとボーヴォワールが日本を訪問したときである。二人は日本で三つの講演をおこない、いくつかの会合に出席し、日本各地を旅行したが、朝吹さんは、その間四週間、二人に付き添い、ガイド兼通訳の役をつとめられた。
[中略]
当時朝吹さんはフランソワーズ・サガンの翻訳者として、またエスプリのきいたエッセイの著者としてすでに世に知られていた。私ももちろんお名前は存知あげていたが、お目にかかったのは初めてだった。
[中略]
高齢者に会うときはいつもそういう覚悟を持たされる。いまでは、私に会う人にもこういう覚悟をしてもらっているのかもしれない。聞きたくて聞けなかったのは次のことである。サルトルとボーヴォワールが来日したとき、二人は谷崎潤一郎夫人にぜひ会いたいという希望をもっていた。これが実現し、朝吹さんが通訳をされたのだが、このときサルトルは谷崎の晩年の性生活についてこまかく質問をし、夫人も隠すことなく質問に答えた。
という話をある日朝吹さんから伺ったのだが、事柄が事柄だけにその内容をその場で尋ねることがためらわれた。そして結局そのままになり、そのときの会談の内容は誰知ることのないままに闇の中に消えてしまった。いったい、谷崎夫人はどんなことをしゃべったのか。谷崎の晩年の作品が作品であるだけに、これは大きな悔いの一つとして残っている。」
ボーヴォワール以外に何人もの女とタイムシェのセックスフレンドを持っていた老ドン・ファンならではの話が聞きたいのもだと私も思う。

140頁

もう一箇所は

「お祝いパーティーお断り

生活習慣だけでなく、生活信条のようなものも頑になっている。若い頃は人の結婚式にのこのこ出かけていったこともあるが、世にこれほど馬鹿げた集まりはないと思うようになって、ある時期からすべて断るようになった。

だいたい結婚式料理ほどつまらぬものはない。『シングル・ライフ』という本を出してからは、幸いなことに断る労すら必要なくなった。案内がこなくなったのである。

叙勲のお祝いの会とやらも二、三度声をかけられたが、これは結婚式以上につまらない。いったい人はなんで勲章をありがたがるのか。あるとき、かなり上のほうの勲章をもらった高名な小説家に「なぜもらったのか」と問いただしたことがある(叙勲は本人の同意を得てからなされる)。そしたら「お金だ」という答えが、このかなり裕福そうな小説家から返ってきた。たしかに彼のもらった勲章はお金つきなのだ。

しかし私は「嘘つけ」と心に思っていた。「世間に広く認められて偉くなったようでうれしい」と素直に言えばまだ可愛げがあるのに、自分の心の動きを〈お金〉にすりかえている。〈お金〉という言葉を出せば、受け入れられると思っているのだ。その姑息な計算を私は軽蔑した。たぶんその作家の辞書からは〈虚栄心〉という言葉がそっと消されているのだろう」

これは明らかにノーベル賞を取った大江健三郎だ。海老坂さんは大江健三郎と同い年で同じ東大仏文出身だからだが、片方はフランス語がからきしできないで小説で身を立て、海老坂さんは早くからサルトルの翻訳家として名を知られている。ノーベル文学賞の選定基準がさっぱりわからない私からすると、海老坂さんの感想はさもありなんという感じだ。