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翻訳マラソン その9『南フランス物語』ピシャについて

2024年2月7日フランス文学, フランス語翻訳, 出版, 文学

アレクサンドル・デュマの『南フランス物語ーフォンテーヌブローからマルセイユまで』(仮題)を翻訳している。全31章のうち、10章がようやく終わった。ほぼ3分のIというところに差し掛かった。今回は長い1章分のテキストの中のほんの小さなエピソードを紹介しよう。デュマより16歳年上の新進劇作家のことを書いている。『レオニダス』(五幕悲劇、一八二五年上演)でデビューした39歳のミシェル・ピシャという劇作家が、上演直後に急死する不幸に見舞われるのであった。

以下、デュマの翻訳(仮)

ピシャについて

ラテン語のslutisサルティス(救い)とmonsモン(山)の二つの言葉の改竄によって、ヴィエンヌの住民がSolomonソロモンの山と呼んでいる展望台から降りて、閉館間近の美術館に向った。幸いなことに、そこで学芸員のドロルム氏に会った。彼は、地方でしか見られない親切な好意に満ちた態度で、閉館時間を超えて見学を延長することを許可してくれただけでなく、私たちに彼自身の素晴らしい骨董品のコレクションを説明するチチェローネ1の役割を果たしてくれた。しかしながら、現在博物館として機能しているこの古代寺院に集められた破片が不思議だったので、最初に私の目を引いたのは、若い男の現代の肖像画で、その姿は確かに私が知っている人間だった。しかし、彼の名前を思い出せなかったので、この絵は誰かとドロルム氏に尋ねると、彼はピシァ2であると答えた。

たちまち私の頭は七、八年フラッシュバックして、彼の姿を見た場所を思い出した。それは、作品の価値、タルマの才能、テイラーの素晴らしい演出が相まって大成功を収めた『レオニダス』3の上演の夕べだった。当時は非常に若く、達成することなど夢にも思わず、十一年間ひたすら仕事と下積み生活をした後にピシャが達成したばかりの目標に、私は新参者として、当時褒めそやされ、現在忘れ去られたこのデビュー作品を研究するために劇場にいた。第五幕を終えて出発したとき、廊下で若い男が周りを囲まれ、ソワソワして友達の腕に抱かれているのを見た。彼は美しく力強い顔をしていて、輝かしい未来に満ちている感じがした。目から飛び出して燃やしていた熱が彼を熱らせ、髪は後ろに流されて、喜びで輝く額をさらしていた。あゝ!そのとき、そんな彼が笑って泣いて通り過ぎるのを見て、私はこの男の運命がいかにうらやましかったか!私が彼になれるためならどんな犠牲でも払っただろう!何故なら、神になったかと思うほどの幸福に満ちたこの男が、その後ほんの数日しか生き残れず、タルマがあれほど命を吹き込んだ彼の仕事も彼の後を追うように墓に降りて、二度と出てこないなどということを誰が信じ得ただろうか?今日、ピシァとレオニダスについて誰が考えるだろうか。目を閉じても、二つの影が通過した夜のように、作者と作品が記憶に浮かべてこの文章を書いている私以外に。

2021年12月19日(日)

  1. キケロの名前に由来するイタリア語の「チチェローネ」という言葉は「案内人」を意味する。
  2. Michel Pichat dit Pichald (né le 13 août 1786 à Vienne en Isère et mort le 25 janvier 1828 à Paris) est un poète et un dramaturge français de la période romantique.『レオニダス』(五幕悲劇、一八二五年上演)の作者。デュマはPichaltと綴っているが、PichatまたはPichaldが正しい。
  3. レオニダス1世(古希: Λεωνίδας、ラテン文字転記:Leonidas I、 ?-紀元前480年、在位:紀元前489年–紀元前480年)はアギス朝のスパルタ王である。第二次ペルシャ戦役中のテルモピュライの戦いに300人のスパルタ兵士と共に参戦し、20万人以上と伝えられるペルシア軍にも互角以上に渡り合い、最期は壮絶な死を遂げた。その名声はギリシア中に轟き、スパルタ随一の英雄とされた。