「まれ」とje t’aime moi non plusについて

2019年12月20日出版

je t’aime moi non plus

今朝の「まれ」を奥さんと見ていてちょっと恥ずかしい感じになった。
まれの作るケーキがJe t’aime moi non plusという名前だというからだ。随分昔の曲だから若い人には馴染みがないだろうし、小日向のやっているカリスマ・パティシエだって発売当時はまだ少年ぐらいだっただろう。
18禁もののゲンスブールの歌だ。


誰かが訳詞まで付けて解説しているのでそちらにお任せしよう。
NHKもなかなか大胆なシナリオを朝ドラで映像化しているね。

さて、面倒くさいことを書きますが、聞き流して下さい。

Je t’aime moi non plusというフランス語は、通常の対話としては間違っている。

通常なら

Je t’aime.

-Moi aussi, je t’aime.

私はあなたを愛している。

-僕も君を愛している。

Je ne t’aime pas.

-Moi, je ne t’aime pas non plus.

私はあなたを愛していない。

-僕も君を愛していない。

というのが通常の対話である。

しかし、この歌詞は

Je t’aime

-Moi non plus.

私はあなたを愛している。

-僕も(君を)愛していない。

これは

1. たんに耳が遠くて 「愛していない」と聞き間違えている(そんなはずはない)

2.「愛している」という言葉を聞いて、それは口だけで、相手の心は「愛していない」ことを見抜いている

3.「愛している」ことは確信して、わざと反対のことを言って相手をじらしている

私の解釈は、ゲンスブールは2だと思う。

肉体派のバルドーに対して「君も口だけだから、僕も本音を言おう、肉体は合わせているが、愛してはいない。」

これだ。

この曲ができたのがフランスでは1968年の5月革命を前にした何でもありの時代だったことを思い出そう。(と言っても、その時代を知らない人は当時の雰囲気がわかるはずはないだろうが)

また、ゲンスブールが白系ロシアのユダヤ人だという背景を考えないと、このシニックな表現のニュアンスがわからないだろうと思う。