ドン・フィリップ・ヴィラーニ コリコーロ翻訳マラソンその5

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カリオストロの甥という正体不明の男

カリオストロの甥というだけで怪しげだが、それもそのはず、カリオストロとはまたの名で、ジュゼッペ・バルサーモ、アレクサンドル・デュマの小説『ジョゼフ・バルサモ』でその魔術をさんざん見せつけられる。日本では「ルパン三世」でもその名は知られているらしい。その甥で奇人変人の一人ドン・フィリップ・ヴィラーニの行状記がこの「フォルチェッラ通り」である。翻訳マラソンの中でも長丁場、7884語のフランス語で翻訳に5日間を要した。すでに紹介した「ジョルダーニの館」の10344語に次ぐ長編だろう。

その冒頭の一部を紹介しよう。変人ぶりの一端が見える。この解決はこの章の最後に種明かしが待っている。出版をご期待ください。

Chapitre VI フォルチェッラ通り

キアイアが外国人や貴族の街であるのと同じように、トレドがぶらぶら歩きをする人々や商店の街であるとすれば、フォルチェッラは弁護士や訴訟人の街である。

この通りは、そこを通る人々にとっては、パリの「裁判所ロビー」と呼ばれるパレ・ド・ジュスティス(高等裁判所)の回廊によく似ている。たとえそれがいつもよりさらにおしゃべりになる弁護士たちとみすぼらしい訴訟人たちに限るとしてもである。

それに訴訟はナポリではパリよりも三倍長くかかるためでもある。

私たちが通った日は大混雑していた。私たちはコリコーロを降りて徒歩で旅を続けることを余儀なくされ、まして私たちはこの群集を無理矢理肘でおしくらまんじゅうをして通り抜ける有様だった。そこで私たちはどんな原因で人が溢れているのか尋ねてみた。すると、巡礼者信徒団とドン・フィリップ・ヴィラーニの間に裁判があったと言われた。訴訟の原因は何だったのかと尋ねたところ、巡礼者信徒団の経費で数日前に埋葬されたばかりの被告が、彼が死んだことを合法的に証明するために召喚されたばかりだという答えであった。ご覧のように、裁判は特定の群衆を引き付けるのに十分に独創的であった。私たちはフランチェスコにドン・フィリップ・ヴィラーニとは誰かと尋ねた。このとき、彼は私たちに大急ぎで通り過ぎる人物を指差した。

「彼ですよ」と彼は言った。

 「一週間前に埋葬された人物?」

「まさに彼自身です」 

「でもどうしてこんなことが?」 

「彼は復活したからです」

 「では、彼は魔法使いですか?」

 「彼はカリオストロの甥です」

ジョゼフ・バルサモ

実際、彼を彼の輝かしい祖先につなぐ真正の家系と、一連の多かれ少なかれ面白い手品のおかげで、ドン・フィリップは彼が魔術師であるという噂をナポリで認めさせることができたのだ。

それは間違いだった。ドン・フィリップ・ヴィラーニは魔術師よりも格上だった。彼は変人だった。ドン・フィリップ・ヴィラーニはナポリのロベール・マケールだった。ただし、ナポリの実業家はフランスの実業家よりも優れている。我がフランスのロベール・マケールは作られた人物、社会的フィクション、哲学的神話であり、アルプスの彼方のロベール・マケールは血も肉もあり、手で触れられる個性であり、目に見える奇人である。

以下、略。