『南方郵便機』の解読(その2)

2020年7月1日出版

『南方郵便機』の解読

第1部第2章

– Mettez en route.
On passe un papier au pilote Bernis : le plan de bataille.
Bernis lit :
« Perpignan signale ciel clair, vent nul. Barcelone : tempête. Alicante… »
Toulouse. 5 h. 45.
Les roues puissantes écrasent les cales. Battue par le vent de l’hélice, l’herbe jusqu’à vingt mètres en arrière semble couler. Bernis, d’un mouvement de son poignet, déchaîne ou retient l’orage.
「出発」
パイロットのベルニスに、一枚の紙が渡される。戦闘計画である。
ベルニスが読む。
《ペルピニャンカラノ通報ニヨレバ、快晴デ無風 バルセローナハ嵐 アリカンテハ……》
ツールーズ。五時四十五分。
力のついた車輪が車輪止めを圧しつぶさんばかりだ。プロペラの後流でなぎ倒される草が、二十メートル後方まで流れてゆくような感じである。ベルニスがあらしを荒れ狂わせるのも、あるいはそれを沈めるのも、彼の手首の動き一つなのだ。

ベルニスの登場だ。ここでようやくベルニスというパイロットが五時四十五分にトゥールーズの飛行場から出発することが知らされる。ジュヌヴィエーヴという女性の存在がほのめかされる。

第1部第3章

翻訳について

Aujourd’hui, Jacques Bernis, tu franchiras l’Espagne avec une tranquillité de propriétaire. Des visions connues, une à une, s’établiront. Tu joueras des coudes, avec aisance, entre les orages. Barcelone, Valence, Gibraltar, apportées à toi, emportées. C’est bien. Tu dévideras ta carte roulée, le travail fini s’entasse en arrière. Mais je me souviens de tes premiers pas, de mes derniers conseils, la veille de ton premier courrier.

冒頭の文章である。以下に3つの翻訳を並べてみよう。

堀口大學訳

今日、ジャック・ベルニスよ、君は領内を見回る領主のような落着いた気持で、スペイン領を通過するはずだ。見慣れた景色がつぎつぎに視界に入って来るはずだ。嵐に包まれても君は悠々と手足を動かすはずだ。バルセロナ、ヴァレンシア、ジブラルタルの市々が君のもとへつぎつぎに運ばれて来て、また奪い去られる。すべてが順調だ。君は自分の巻地図を解いて行くはずだ。すんだ仕事は背後に積まれる。それなのに僕には今、君の最初の第一歩、僕の忠告のしおさめの、あの君の最初の郵便飛行の前夜が思い出される。

長塚隆二訳

いよいよきょうは、いいかねジャック・ベルニス、きみが地主のように悠然とスペインを越えることになるのだ。見覚えある幻影がつぎつぎと現実に展開されるだろう。きみなら造作もなく、あらしをかきわけてゆくだろう。バルセローナとかバレンシアとかジブラルタルがきみのほうに近づいては、後ろに去ってゆく。順調だ。きみは巻いた地図をひろげるだろうし、すんだ分が後ろに積み重ねられる。それでも、きみの初飛行のこととか、きみの最初の郵便飛行の前夜に私が与えた最後の助言のことが私の記憶によみがえる。

山崎庸一郎訳

今日、ジャック・ベルニスよ、きみは地主のように落ちつき払ってスペインを越えるはずだ。見慣れた眺めがつぎつぎにつくりあげられてゆくはずだ。きみは悠然と嵐を肘でかき分けてゆくはずだ。バルセロナ、バレンシア、ジブラルタルが、きみのところに運ばれ、運び去られてゆくはずだ。それでいい。きみはきみの巻かれた地図を繰りひろげてゆき、終わった仕事はうしろに積みかさねられてゆく。だがわたしは、きみの最初の一歩を、きみの処女飛行の前夜、わたしが与えた最後の助言をおぼえている。

(『南方郵便機』サン=テグジュペリ著作集1、みすず書房、15ページ)

解読

Aujourd’hui, Jacques Bernis, tu franchiras l’Espagne avec une tranquillité de propriétaire. Des visions connues, une à une, s’établiront. Tu joueras des coudes, avec aisance, entre les orages. Barcelone, Valence, Gibraltar, apportées à toi, emportées. C’est bien. Tu dévideras ta carte roulée, le travail fini s’entasse en arrière. Mais je me souviens de tes premiers pas, de mes derniers conseils, la veille de ton premier courrier.

この文章は、動詞が単純未来になっている。franchiras, s’établiront, joueras, dévideras しかし、s’entasseと次の文章のsouviensは直接法現在である。問題はTu dévideras ta carte roulée, le travail fini s’entasse en arrière.この文である。3つの翻訳を比べてみよう。

堀口訳「君は自分の巻地図を解いて行くはずだ。すんだ仕事は背後に積まれる。」

長塚訳「きみは巻いた地図をひろげるだろうし、すんだ分が後ろに積み重ねられる。」

山崎訳「きみはきみの巻かれた地図を繰りひろげてゆき、終わった仕事はうしろに積みかさねられてゆく。」

堀口・長塚は単純未来・現在を意識しているが、山崎は両方とも単純未来であるように訳している。山崎は問題外であるが、先の2人の訳にも違和感が拭えない。ベルニスが巻いた地図を(これから)広げて見るだろう、という<私の>予想が単純未来で表されているが、le travail fini「すんだ仕事(?)、すんだ分(地図)、終わった仕事(?)」がs’entasse重なっている(現在形)のはどうして現在形なのかがわからないからだ。3人共、巻いた地図を広げたのが畳まれるというふうに解釈している。だったらどうしてs’entasseraという単純未来にならないのか?私自身も何回も考えてみた。

私の考えでは、後半部分の文章は「(きみは)背中にこなした仕事を背負っている」という意味ではないかと思う。つまり、きみはすでにベテランのパイロットなんだ、という<語り手の私>の判断なのだと思う。だからこそ、Mais je me souviens de tes premiers pas, de mes derniers conseils, la veille de ton premier courrier.という次の文の現在形につながる。「ベテランづらのきみが、初飛行の前夜どうだったか思い出す」ということなのではないか。もし3人の訳のようにフランス語を書くとしたら、Tu dévideras ta carte roulée, le travail fini s’entassera en arrière.あるいはTu dévideras ta carte roulée et le travail fini s’entassera en arrière.と書くだろう。

さて、長塚訳を少しだけ変えてみよう。

いよいよきょうは、いいかねジャック・ベルニス、きみが地主のように悠然とスペインを越えることになるのだ。見覚えある幻影がつぎつぎと現実に展開されるだろう。きみなら造作もなく、あらしをかきわけてゆくだろう。バルセローナとかバレンシアとかジブラルタルがきみのほうに近づいては、後ろに去ってゆく。順調だ。きみは巻いた地図をひろげるだろう、経験者ベテランなんだから。それでも、きみの初飛行のこととか、きみの最初の郵便飛行の前夜に私が与えた最後の助言のことが私の記憶によみがえる。

(この項続く)


 

英語版を見て驚く(補足)

この続編だが、どうしても確信を強めたいと思って、英語の翻訳本を借りてきた。

Today, Jacques Bernis, you will cross Spain with the tranquillity of a proprietor. Familiar scenes will rise to meet you one by one. You will elbow your way with ease through the storms. Barcelona, Valencia, Gibraltar will sweep towards you and be borne away. As is fitting. You will discard your rolled up map and the work accomplished will pile up behind you.

英語版を見て驚いた。私が上であれほど強調したle travail fini s’entasse en arrière という部分が、なんとthe work accomplished will pile up behind youというふうに未来形に翻訳してあるではないか。これでは私の解釈が孤立無援で誰からも支持されていないことになる。日本語だと未来形はわかりにくいが、英語訳は山崎庸一郎訳と足並みをそろえている。

しかし、どう考えてもここだけの現在形をどうして未来形にするのか?やはり納得がいかない。

Aujourd’hui, Jacques Bernis, tu franchiras l’Espagne avec une tranquillité de propriétaire. Des visions connues, une à une, s’établiront. Tu joueras des coudes, avec aisance, entre les orages. Barcelone, Valence, Gibraltar, apportées à toi, emportées. C’est bien. Tu dévideras ta carte roulée, le travail fini s’entasse en arrière. Mais je me souviens de tes premiers pas, de mes derniers conseils, la veille de ton premier courrier.