『南方郵便機』の誤訳を正す(1/2)

2024年3月13日フランス, フランス文学, フランス語翻訳, 出版, 文学

先に書いた『城砦』の翻訳の問題は終わりそうもない。サン=テグジュペリのことを調べているうちに、山崎庸一郎が主要作品をほとんど翻訳していることを知って絶望的な気持ちになった。またあの誤訳の山にぶつかるのかということだ。

『南方郵便機』の翻訳を読んでいてやっぱり不明なところにぶつかった。

それは田舎の小駅ではなくて、隠し扉だった。おもて向きは田園に面していた。のんびりした改札係のまえを通り抜けると、なんの謎もない白っぽい道に出る。小川が流れ、野ばらが咲いている。駅長はばらの手入れをしていたし、駅員はからっぽの車を押しているふりをしていた。こんなふうに変装して、秘密の世界の三人の番人は見張りについていたのだった。

改札係は切符を指ではじいた

――パリからトゥールーズに行くのに、どうしてここで降りるんです?

――つぎの汽車で乗りつぐつもりだ。

改札係はしげしげと彼の顔を見た。彼にたいして、道路や小川や野ばらを引き渡すことをためらっていたのではない。マーリン1 以来、特別の者たちだけが見かけのしたに忍びこむことのできるかの王国を引き渡すことをためらっていたのだ。やがて、ベルニスのうちに、オルフェウス以来、そのような旅のために要求される三つの徳、勇気、若さ、愛を読み取ったらしい……。

――お通りください、と彼は言った。

(『南方郵便機』サン=テグジュペリ著作集1、みすず書房、109ページ)

たったこれだけの文章だが、いつも何か違和感が拭えない。何か信用がならないのだ。原文を見てみよう。

Ce n’était pas une petite gare de province, mais une porte dérobée. Elle donnait en apparence sur la campagne. Sous l’œil d’un contrôleur paisible on gagnait une route blanche sans mystère, un ruisseau, des églantines. Le chef de gare soignait des roses, l’homme d’équipe feignait de pousser un chariot vide. Sous ces déguisements veillaient trois gardiens d’un monde secret. 

1.en apparenceを「おもて向きは」と訳しているのは私は訳しすぎだと思う。「裏は?」という問いを予感させすぎているからだ。後で分かることをもう示しているからだ。次の「まえを通り抜けると、なんの謎もない白っぽい道に出る」という文章は「ベルニスが彼の前を通り抜けて道に出た」と思うように訳してある。まして、「小川が流れ、野ばらが咲いている」と書いてあると、道の先を歩いていく風景を描写してあるとしか思われない。gagnait(gagner)をそう読んだのだ。動詞の意味の解釈それ自体はそういう場合もあるから間違いではないが、次のやり取りを見ると、ベルニスはまだ改札を済ましてないことがわかるはずだ。だから、まだ目で眺めているに過ぎないことを示すべきなのだ。gagnaitという直接法半過去を「に出る」と直接法現在形のように訳しているのはそれを曖昧にするためだろう。しかし、「小川が流れ、野ばらが咲いている」は余分だ。改訳してみよう。

それは田舎の小駅というよりは、隠し扉だった。駅は外見上は田園に面していた。おとなしそうな改札係の見張る先には変哲もない白い道と小川と野ばらが見えた。駅長はばらの手入れをしていて、駅員はからの手押し車を押すふりをしていた。秘密の世界の三人の番人はこんな変装で見張りをしていたのだ。

この章(あるいは節)は、ベルニスがかつての恋人(人妻の、だから不倫相手の)ジュヌヴィエーヴの家に行くところだが、幻想小説風に描いている。

2,さて、その次の文章に進もう。

Le contrôleur tapotait le billet :

– Vous allez de Paris à Toulouse, pourquoi descendez-vous ici ?

– Je continuerai par le train suivant. 

tapotaitという動詞は「はじく」という意味ではない。指で叩く、あるいはつつくという意味である。

改札係は切符を指でとんとんと突いて、

「パリ発トゥールーズ行きですが、どうしてここで降りるんですか?」

「次の列車で乗り継ぎます。」

3.ではその次。

Le contrôleur le dévisageait. Il hésitait à lui livrer non une route, un ruisseau, des églantines, mais ce royaume que depuis Merlin on sait pénétrer sous les apparences. Il dut lire enfin en Bernis les trois vertus requises depuis Orphée pour ces voyages : le courage, la jeunesse, l’amour… 

マーリン以来、特別の者たちだけが見かけのしたに忍びこむことのできるかの王国を引き渡すことをためらっていたのだ。

「特別の者たち」にあたるフランス語はどこにあるのだろう?depuis Merlin on sait pénétrerしかないのに。

Merlinというのはwikipediaの日本語[ref]https://ja.wikipedia.org/wiki/マーリン[/ref]またはフランス語[ref]メルランhttps://fr.wikipedia.org/wiki/Merlin[/ref]にあるように、ガリアのケルト伝説の預言者で見えないものを透視できたということから、マーリン(メルラン)が透視していらい、on(誰でも)透視能力が備わったということなので、特別の人間にしか見えないというのは真逆の解釈である。また、オルペウス以来というくだりは、妻エウリュディケーが毒蛇にかまれて死んだとき、オルペウスは妻を取り戻すために冥府に入ったというギリシャ神話を引き合いに出して、死にゆく恋人ジュヌヴィエーヴに会いに来るベルニスのことを喩えているのだ。さて、改訳してみよう。

改札係はしげしげと彼の顔を見た。道路や小川や野ばらではなく、預言者マーリン以来、外見から誰にでも見通せるこの王国を彼に引き渡すことをためらっていたのだ。彼はきっとベルニスに、オルペウス以来このような旅に要求される勇気、若さ、愛の三つの美徳を読み取ったに違いない……。

4.さて、その次。

– « Passez », dit-il. 

さて、ここでようやく改札係がベルニスを駅の外に出したのだ。だから前の文章で彼を改札係の前を通らせてはならないことがわかるだろう。

この投稿は多分果てしなく続くような気がする。


いやいや、今日(4月21日)調べたところ、長塚良二さんの翻訳が電子書籍(グーテンベルク21)であった。それを買って読んだところ、「ああ、これは名訳だ」と思った。なんだ、日本の翻訳もちゃんとしていたんだ。

長塚さんの翻訳を上げておこう。びっくりするほど頭に入ってくる。


それは田舎の小さな駅ではなくて、忍び戸のようなものだった。見たところ、そこから野原がひらけていた。のんびりした改札係のところを通ると、なんの変哲もない白い道にでて、小川が流れ、野バラが咲いていた。駅長はバラの手入れをしているし、駅の人夫がじつは空の手押し車を押すように見せかけていた。こういう変装姿で、秘密の世界の三人の番人が目を光らせていたのだ。

改札係が切符を指ではじいた。

「パリからツールーズまでですが、どうしてここで下車するのですか?」

「つぎの列車にまた乗るのだがね」

改札係は、彼の顔をじろじろ見つめた。改札係が彼に引き渡すのに二の足を踏んでいるのは、道とか小川とか野原ではなくて、メルラン〔多数の騎士物語に登場する魔法使いの予言者〕以来、忍び込む方法がわかっている外見の下に隠されたあの王国にほかならなかった。それにしても、彼はベルニスの中に、オルフェウス以来この国の旅に必要な、勇気と若さと愛という三つの取柄を読み取ったのにちがいなかった……。

「どうぞ」と彼がいった。


私が訳し直さなければいけないのかと悩んだのもつかの間ですんだ。

他の本も別の翻訳を探してみよう。

(続きはー>

  1. マーリン ケルト伝説の魔法使いで、アーサー王物語にさまざまな形で登場する(山崎注)