籠池泰典氏のことを思うにつけ・・・
吉本隆明は『共同幻想論』の規範論のなかで書いている。
・・大和朝廷勢力がもともとわが列島に土着していたものか、あるいは渡来したものかは『古事記』の編者たちにも明瞭ではなかったとかんがえられる。その由来をきわめるには、数千年をさかのぼらねばならないし、交通形態の未発達な古代社会で、孤立的に散在していた村落は、村落周辺からはなれた地域からの襲来勢力を〈天〉からきたとでもかんがえるほかなかった。これは信仰からいっても当然のようにおもわれる。
しかも大和朝廷勢力以外にも、すでに出雲系のような未体制的な土着の勢力がいくつもわが列島に散在することはかれらにも知られていた。それだから大和朝廷勢力はかれらの〈共同幻想〉の担い手の一端を、すでに知られている出雲系のような有力な既存勢力とむすびつける必要があり、それがスサノオの〈天つ罪〉の侵犯とその受刑の挿話となってあらわれたのである。[ref]吉本隆明『共同幻想論』角川文庫(1982年)224ページ[/ref]
『古事記』のなかでスサノオが詠んだ歌とされるものが、
夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久留 曽能夜幣賀岐袁
である。しかし、この通説に対して吉本は『サンカの社会』を書いた三角寛を引用しながら土着系の伝承を紹介している。
サンカは、婦女に暴行を加へることを「ツマゴメ」といふ。また「女込めた」とか、「女込んだ」などともいふ。
この「ツマゴメ」も、往古は、彼らの得意とするところであつた。そこで、「ツレミ」(連身)の掟ができて、一夫多婦を禁じた。それが一夫一婦の制度である。
ここで問題になるのは、古事記、日本書紀に記された文字と解釈である。すなはち、
(古事記)夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久留 曾能夜夜幣賀岐袁
(日本書紀)夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟麿語味爾 夜覇餓枳菟倶盧 贈廼夜覇餓岐廻
右に見るやうに、両書は、全く異つた当て字を使つてゐるが、後世の学者は、次のやうに解釈してゐる。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
と、決定してゐるやうであるが、サンカの解釈によると、(昭和十一年、富士山人穴のセブリ外十八ヶ所にて探採)次の通りである。
ヤクモタチ(ツ)は、八蜘蛛断ち(つ)であり、暴漢断滅である。イヅモ、ヤヘガキは、平和を芽吹く法律で、ツマゴメ(ミ)ニは婦女手込めに……である。ヤヘガキツクルは掟を制定して、コ(ソ)ノヤヘガキヲ、はこの掟をこの守る憲法を——で、これが「一夫一婦」の掟である。
それで出雲族を誇示する彼らは、自分たちのことを、「八蜘蛛断滅」だと自称して、誇ってゐるのである。・・・
この伝承で歌を解釈すれば〈乱脈な婚姻を断つのに出雲族の掟を 乱婚にたいして作った その掟を〉ということになる。[ref]『共同幻想論』には引用ページの記載がないが、現在参照できるのは三上寛『サンカ社会の研究』現代書館 「三上寛サンカ選集 第6巻」(2001年)138-9ページである。[/ref]
なぜこういう解釈に吸引力があるかといえば、スサノオが追放されるさいに負わされた〈天つ罪〉のひとつは、農耕的な共同性への侵犯に関している。この解釈からでてくる婚姻についての罪は、いわゆる〈国つ罪〉に包括されて土着性の強いものである。『古事記』のスサノオが二重に象徴している〈高天が原〉と〈出雲〉の両方での〈法〉的な概念は、この解釈では大和朝廷勢力と土着の未開な部族との接合点を意味している。それは同時に〈天つ罪〉の概念と〈国つ罪〉の概念との接合点を意味していることになる。[ref]吉本隆明『共同幻想論』角川文庫(1982年)225-227ページ[/ref]
教育勅語に心酔する籠池泰典氏の揺るぎない確信の核にこういう「共同幻想」が潜んでいるのではないか。出雲系(あるいは土着系)日本人の祖先たちがスサノオに従った民であるという確信を今でもその子孫に信仰として伝承したためではないかと思うのはわたしだけであろうか。
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