大泥棒ガスパローネとの面会ーコリコーロ翻訳マラソンその8
大泥棒ガスパローネとの面会
『コリコロ』48章のうち上巻24章はすでに出したが、下巻24章の翻訳もあと残り2章になった。
下巻第22章は「ガスパローネ」という見出しで、大泥棒ガスパローネとの面会というテーマである。ガスパローネはヨーロッパ全体に知られる強盗団の首領で、様々な本で紹介されているだけでなく、1884年にはドイツ語でオペレッタにまでなっている。AntonioGasbarroneはイタリア語のWikipediaしかない。
Antonio Gasbarrone (Sonnino, 12 dicembre 1793 – Abbiategrasso, 1º aprile 1882) è stato un brigante italiano.「アントニオ・ガスバローネ(ソンニーノ、1793年12月12日-アッビアテグラッソ、1882年4月1日)はイタリアの山賊であった」とある。ヨーロッパではガスパローネという発音だが、イタリア語ではガスバローネである。
チビタベッキアの牢獄に十年投獄されているその山賊にアレクサンドル・デュマが面会をすることになった。山賊だけにいかにも恐ろしい人物かと思うと、なんと獄舎には本棚があって、ベルナルダン・ド・サン=ピエールの『ポールとヴィルジニー』とかフェヌロンの『テレマックの冒険』というフランス語の本もあり、聞いてみると『テレマックの冒険』をイタリア語に翻訳しているという。
いやいや、これでは今、フランス語の本を日本語に訳している私と同じではないか、私は山賊のような華々しい前歴はないのに、と驚いた。
ここでの話題はそのこともあるにはあるが、翻訳にまつわるエトセトラを書いておきたい。原文は以下である。
Et Gasparone me montra sur sa table une pyramide de papiers couverts d’une grosse écriture : c’était sa traduction. J’en lus quelques passages. A part l’orthographe, sur laquelle, comme M. Marle, Gasparone me parut avoir des idées particulières, ce n’était pas plus mauvais que les mille traductions qu’on nous donne tous les jours.
「そしてガスパローネは、彼のテーブルの上にある大きな書体で書かれた紙のピラミッドを見せてくれた。それが彼の翻訳だった。私はいくつかの行を読んでみた。マルル氏と同じく、ガスパローネには独自の見解があるように見える綴り字はともかく、それは私たちに毎日届けられる何千もの翻訳本に引けを取るような翻訳ではなかった」
この文章の中で、comme M. Marleのマルル氏は何者なのか?デュマの文章の中にはこういう苗字だけの引用、いやほのめかしがたくさんあって、それを突き止めるために時間がかかるのが大変なのだ。M. Marleの正体を突き止めるのに、丸二日ほどかけて、ついに発見した。L. C. Marleがその人で、フランス語のWikipédiaで発見した。それによると、「シャルル=ルイ・マルルはフランスの文法学者でフランス語の発音と綴り字の一致のために新しい正書法を唱えて一定の名声を獲得した」とある。フランス語の綴り字と発音の不一致は長年の課題で、フランス語学習者が最初の一歩からつまずく原因の重大なものの一つである。たとえば上の文のなかの c’étaitが発音記号で書くと[setɛ]、ローマ字だと[セテ]と発音する。語末の子音字はほとんど発音しない、とかあげればきりがない。
このマルル氏を発見するために、いろいろ試したが、orthographe Marleの2語を並べて検索したようやく発見できた。
何が言いたいかというと、特にGoogleのようなWeb検索のおかげで翻訳者の頭痛の種がかなり軽減されたことは間違いない。集合知ばんざい!ってところだろうか。
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