追悼吉本隆明ミシェル・フーコーと「共同幻想論」

2023年2月12日任意

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「追悼吉本隆明ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」


印刷書籍版

2,100円(税込)

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(この本は『ミシェル・フーコーと『共同幻想論』』は光芒社から出したものですが、絶版になったため再版しました。吉本隆明さんへの追悼の意味で、「追悼吉本隆明」として出版しました。内容はほぼ同じものです。)


第四章はフランス語版が出版されました。詳細ページはここです。


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「追悼吉本隆明 ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」をプレビューでお楽しみください。

追悼吉本隆明 ミシェル・フーコーと『共同幻想論』

このプレビューはBiB/i(EPUB READER on your Website)を使わせて頂いています。松嶋智さん、ありがとうございます。


内容紹介

「消費資本主義の終焉から贈与価値論」と「吉本隆明『共同幻想論』を語る」の2つの対談は、それぞれ時期と対談者を異にしながら、吉本隆明が『共同幻想論』の現代的意味とミシェル・フーコーの仕事と人柄にかんして率直に語っている。「『共同幻想論』のフランス語訳の完成にいたるまで」は著者の中田平が『共同幻想論』をフランス語に翻訳した経緯を、また「ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」は『共同幻想論』をフーコーの仕事の全体と比較しようとした論文である。この本は、日本を代表する思想家吉本隆明がフーコーとの対談を契機にフランス思想界に知られるに至った経緯と、彼の主著『共同幻想論』を世界思想にもたらすことを願ってフランス語に翻訳した私と妻・たか子の格闘の経過を世に問うものである。かつて光芒社から出版された「ミシェル・フーコーと『共同幻想論』の新装改訂版


解題

 この書「ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」は以下の二つの対談と二編の独立した文章で構成されている。 

 一 対談「消費資本主義の終焉から贈与価値論へ」(一九九一年一二月)

 二 鼎談「吉本隆明『共同幻想論』を語る」(一九九三年一二月)

 三「『共同幻想論』のフランス語訳の完成にいたるまで」

 四「ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」

  2つの対談はそれぞれ時期と対談者を異にしながら、吉本隆明が『共同幻想論』の現代的意味とミシェル・フーコーの仕事と人柄にかんして率直に語っている。「『共同幻想論』のフランス語訳の完成にいたるまで」は中田平が『共同幻想論』をフランス語に翻訳した経緯を、また「ミシェル・フーコーと『共同幻想論』」は『共同幻想論』をフーコーの仕事の全体と比較しようとした論文である。

 この本は、日本を代表する思想家吉本隆明がフーコーとの対談を契機にフランス思想界に知られるに至った経緯と、彼の主著『共同幻想論』を世界思想にもたらすことを願ってフランス語に翻訳した私と妻・たか子の格闘の経過を世に問うものである。


目次

第一章 消費資本主義の終焉から贈与価値論へ
日本の農業問題、消費資本主義
贈与価値
旧ソ連の近未来
近代国家、民族間題
世界市場
消費資本主義のもとでの「公害」
天皇制
日本人の起源
『共同幻想論』翻訳まで
シンポジウム「フーコーの世紀」
フーコーの圧倒的な印象
『性の歴史』とエイズの予感
多面的なフーコー
世界思想の条件

算二章 吉本隆明『共同幻想論』を語る
『共同幻想論』のモチーフ
三つの幻想概念
フーコーの『言葉と物』と対談の印象
『共同幻想論』のフランス語訳をめぐって
フーコー・シンポジウムと翻訳出版の実状
『共同幻想論』と天皇制問題

第三章 『共同幻想論』のフランス語訳の完成にいたるまで
そもそもの始まり
フーコーの死
田村隆一の訳詩集 DEAD LANGUAGE
大岡昇平の『野火』Les Feux
『古事記』KOJIKI, Chronique des choses anciennes
エリセーエフの日本文化論 La civilisation japonaise
ハイデガーの『存在と時間』の翻訳について
国立図書館における日本文献の地位
あこがれのガリマール書店
大学紀要での公表
統語法をめぐつて
フーコー・シンポジウム
大江健三郎氏の返答

第四章 ミシェル・フーコーと『共同幻想論』
物と言葉
『世界の散文』と「世界という散文」
メルロ=ボンティの「表現」expressionとフーコーの「再現」representation
神分析学と民族学
フーコーと吉本隆明の対談「世界認識の方法」
集合的幻覚fantasmes collectifsではなく
……「共同幻想」 illusion commune
フーコーの予告
禁制と黙契
憑き、あるいは共同幻想の個人への憑依
巫親と巫女
他界、死とは何か
生、誕生とは何か
母系社会の存立構造
家族とは何か
母系社会から父系社会への転化
国つ罪と天つ罪
日本国家の起源

おわりに
あとがき


引用

吉本は『共同幻想論』の序文でこう書いている。「人間が共同のし組みやシステムをつくって、それが守られたり流布されたり、慣行となったりしているところでは、どこでも共同の幻想が存在している。そして国家成立の以前にあったさまざまな共同の幻想は、たくさんの宗教的な習俗や、倫理的な習俗として存在しながら、ひとつの中心に凝集していったにちがいない。この本でとり扱われたのはそういう主題であった。」

未開社会のタブーや『古事記』のような神話や宗教的な習俗などは明らかにフーコーの言う「文化の無意識」の構造であり、その上で個々人が生活をしている。その逆に、諸個人の無意識のなかに、「歴史的な構造をもった文化」が根を下ろしているとも言える。吉本は「禁制」(タブー)の解明を共同の幻想を解明する出発点とした。そのとき手がかりにするのはフロイトの『トーテムとタブー』の分析である。ほとんど同じ年に地球の反対側で書かれた『言葉と物』と『共同幻想論』とが、これほどまでに呼応しているとは驚くべきではなかろうか。 

思想が醸成された環境を追体験するときは、書かれた書物を解体・再生する必要があるが、私は、吉本の国家論を西洋思想のなかに位置づけるために、あえて、あたかも私が初めて『共同幻想論』を読んでいるかのように、この書の記述の順序に忠実に従って論旨を要約していこう。実は、禁制(タブー)から国家成立の起源までの道程は、日本(アジア、あるいは古代社会)の古代国家成立の道程に重ねて考えることができるからである。もちろん、吉本は歴史記述を旨としたのではなく、考古学的な資料を、いわば心理学的な考え方で取り扱いながら日本国家の構造的・歴史的な重層を解析していくのである。 


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Posted by hnakata