La France métropolitaine

La France métropolitaine フランス本土

現在のフランス本土は北緯 (latitude Nord) 42.5°~51, 西経 (longitude Ouest) 5°~東経 (longitude Est) 8°の間に位置しています。ほぼ正六角形になった各辺は、北から英仏海峡 (la Manche), 大西洋 (‘Océan Atlantique), ピレネー山脈 (les Pyrénées), 地中海 (la Mer Méditerranée), アルプス (les Alpes), ジュラ 山 (Jura), ヴォージュ山脈 (les Vosges)によって囲まれていて、面積は約55万m2で日本の1.5倍です。比 較的高緯度にもかかわらず、メキシコ湾流などの影響で年間平均気温が9°から15°で, ヨーロッパのな かでは最も穏やかな気候に恵まれています。人口は1969年に5千万人を突破して現在6690万 (2016年)を数えています。

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L’histoire de France フランスの歴史

ローマのカエサル Jules Cesar がガリア Galia (Gaule) と呼ばれた現在のフランスに侵入し(B.C.58), 西ローマ帝国が滅亡するまで(476) はローマ時代のガリアと呼ばれます。481年クロヴィス Clovis がキ リスト教に改宗してフランク族の王になり、メロヴィンガ王朝 Mérovingiens を開きますが, シャルルマ ーニュ大帝の即位によりカロリンガ王朝 Carolingiens という巨大な帝国ができます。そして, ヴェルダ ン条約によって現在のドイツ、イタリア、フランスに領土が分割されました. 1066年にはノルマディー 公がイングランドを征服時は既にカペー朝 Capet になっています。 1314年からはヴァロワ王朝 Valois に移ります。 ジャンヌ・ダルク Jeanne d’Arc の事件が起きたのは1453年に終わるイギリスとの 百年戦争のさなかでした。

16世紀はイタリアからのルネッサンス Renaissance が宗教戦争と絡んで複雑な様相を呈します。カト リーヌ・ド・メヂシス Catherine de Médicis の陰謀政治のなかで、血なまぐさい暗殺事件が相次ぎ、つ いには新教徒でブルボン家のアンリ Henri4世が旧教に改宗して王位に就くという事態になります。彼 の暗殺の後、枢機卿リシュリュウ Richelieu によるフランスの拡大策が進んで, 1643年から始まるルイ Louis 14世の絶対王政の準備が出来上がり、17世紀になるとフランスは世界の中心的な国家となってい きます。しかしルイ15世・16世が産業革命から取り残されて次第に世界の舞台から後退し、ついに 1789年フランス革命 la Révolution francaise を迎えたことはあまりにも有名な歴史でしょう。 1792年か らナポレオン Napoléon の登場1804年までが第1共和制 1e Republique で、ナポレオンの帝政 Premier Empire は1814年まで続き、第1次王政復古 Pemiere Restauration, 百日天下 Cent-Jours, 第2次王政復古、そして1830年の7月革命 Révolution de juillet でルイ=フィリップ Louis-Philippe の7月王政に移 ります。しかし、王政は続かず, 1848年2月革命 Révolution française de 1848で第2共和制が発足し ます。ナポレオン3世がこの機に乗じて52年第2帝政 Second Empire を立て, 1870年の普仏戦争に負 けて、パリ・コミューンが鎮圧されるまでの間統治します。これが第3共和制です。第4共和制は第2 次世界大戦中にできたヴィシー政権とパリ解放後の臨時政府を経て発足し、アルジェリア戦争でド・ゴ ールが政界復帰。大統領権限の増大を図った新憲法の公布を機に第5共和制がしかれて今日に至ってい ます。

La langue française フランス語

「フランス人の祖先はスコットランド語 (l’ecossais) に似た言語を話していました。それがガリア語 (le gaulois) でした. この言語はブルターニュで話されているブルトン語 (le breton) にかなり近い言語です。しかし、この言語から今日のフランス語に遺されているのは僅か数語しかありません。例えば, une alouette (ひばり), une charrue(勤)などです。また、発音に関しては mur(壁)という単語に見られるような«u»という鋭い発音しかありません。

それに反して, フランス語の本質的な部分はラテン語 (le latin) から派生してきました。というのは、 ガリアがローマ人に征服されると(ジュール・セザール=ユリウス・カエサル Jules César, 紀元前52年)、ガリア人は多数派であるにもかかわらず、文化的先進国だったローマ人の兵士や商人との接触によって、 直接にラテン語を学んで身につけたからです。ところが、そうはいっても彼らが話していたのはいわゆ る民衆ラテン語で、«Liber de Petro》(=le livre de Pierre「ピエロの本」)と言うべきところを «Liber Petri»などと言っていました。そのため、ついには, ローマのラテン語とガリアのラテン語という二つ のラテン語が出来上がり、ガロ・ロマン語 (le gallo-roman) と呼ばれたのです。

次いで,4~5世紀にかけてゲルマン人の侵入がありましたが、ガロ・ロマン語は存続されました。 というのは、侵入民族が少数であったためばかりではなく, ゲルマン民族のほうが征服地の言語を話す ようになったからです。もちろん、それでもかれらは幾つかの新語をこの言語にもたらしました。それは例えば, une guerre(戦争), un maréchal (元帥), une troupe(軍隊)といった軍事的な用語が中心でした。 また、これは重要なことですが、主語の倒置による疑問文などの新しいシンタックス(構文)をももたら したのです。

中世になると,この言語は,発音においても文法においても,ますますラテン語から遠ざかるばかり で、ついにはもはやラテン語とは似ても似つかないものになってしまいました。9世紀シャルルマーニュ の孫たちが交わした契約書 «Les Serments de Strasbourg)「ストラスブールの契約」の文書は、もはや全 く別の言語の姿を見せています。また,この文章は今日のフランス人にとっても全く別の言語であるこ とも事実です。

* Les premières lignes des Serments de Strasbourg. (Xe s.), Paris, B.N.

Manuscrit des serments de Strasbourg.

それ以後は、今日のフランス語の祖語となる古フランス語(l’ancien francais)の時代になります。11 世紀から14世紀にかけて、フランス国土の統一は見られなかったものの、言語においてはいくつかの有力な方言が見られました。ロワール河以南を支配したオック語(今日の «oui» を «oc»と言ったために la langue d’oc と呼ばれる)とロワール以北のオイル語(同じく、la langue d’oil), そしてイル・ド・フラン ス(今日のパリ)で話されていたフランシアン (le francien)です。

Le moyen français 中世フランス語(15~16世紀)

十字軍の遠征, 印刷術の発明、イタリア戦争 などによって, ギリシャ・ラテンの学術用語の借用が盛んに行なわれます。その代表例がラブレーの『ガ ルガンチュアとパンタグリュエル』のテキストです。

Le français classique 古典フランス語 (17~18世紀)

これが言語とその正しい慣用 (le bon usage) の純化の時期です。ラシーヌ, ヴォルテールの作品がその典型でしょう。

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